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好きなことを好きなだけ

専業主婦からパートへ。ワーママと呼ぶには及ばない私の生活も1年が経ちました。

がっちゃんです。

 

専業主婦をしていた1年前。奮起して就活して、恐る恐る仕事を始めることができました。ちょうど1年くらい経ったかなと思います。短時間のパート労働者でワーママと呼ぶには全然至らないのでしょうが…それでも仕事が自分の1つになっていることが今は嬉しいです。

 

仕事で再構築する自分という社会的意義

「仕事が充実している」と思えるのは、やっぱり自分という人間が社会の中に存在できていると言う実感があることが、一番大きいように思います。

相変わらず見栄っ張りでくだらない理由だなと思うけれど、どこにも所属せず自分で自分を確立していくのはすごく大変だった。それが専業主婦だった自分の一番の難題でした。

今は仕事も1年続き、職場の居場所があって「この人はこう言うことができる人」と認知されていることがすごくありがたいなと思っています。

 

家庭と仕事

就活している時に、自分が長く続けられるのはどういった環境だろう?と考えた時、家庭との両立ができる労働条件と自分が長い時間を費やすにあたって価値を感じられる仕事であることでした。

労働条件に関しては1年で大きく変わるようなものでもなく、当初に選んだ環境の恩恵をとても受けています。私が半分仕事、半分子育てを担うことで、まだまだ幼い子どものケアをできているように感じています。もっと働きたい気持ちがないわけではないけれど、それが今すぐでなくてもいいと最近では緩く思えるようになりました。

 

仕事とやりがい

職場の環境はこの1年、ガラッと変わりました。人員が薄くなってしまい負担が大きくなっていくこと、仕事で求められることが少しずつ変わっていきその変化に対応していかないといけない感じ、同僚のゴタゴタ。どこの職場でもよくある話ですが、自分もその中の当事者になるとなかなか大変で…。それでも今の会社には「継続&広がっていって欲しいな」と思える価値を感じているから辞めようと思うことは全くなかったです。
自分はどんな人間だろう?と思って就活した時に、きっと給料以外のもので価値を感じるものがあれば、そういった「あるある」的な辛さでは辞めずに済むだろうと思っていましたが、今のところ当たっていたようです。自分の自分に対する認識がずれていなかったことに安堵しています。

 

仕事の話を周りにして思うこと

私の周りに私の仕事を馬鹿にする人がいないんです。それが最近の気づきで、ありがたいなと思えています。

福祉という業界上、下手なことを言えない周囲の気持ちはわかります。でもそれ以上に、友人たちが親や叔父叔母になり、今まで「福祉は特別な人が受けるもの」だった認識の人たちが、多分、福祉が身近でかけがえのない領域であると、実感として変わってきているんだと思います。ここ1年、会えていなかった友人たちにも会えて話す機会が増えました。仕事の細かな話はしないものの、近況ついでにどんな仕事をしているかを話すと、興味を持ってくれたり理解を示してくれる人が周りに多くて、自分も自分が就いている仕事の重さを改めて実感しています。

 

総括するならもっと落ち着きたい

どうしたら落ち着いて俯瞰的に物事を見ながら仕事ができるのでしょう。私には無理でした。いつもバタバタして「数字が合わない…」「日本語が難しい…」「すみません、もう一回聞いてもいいですか…」と半泣きです笑

もっと落ち着きたいですが、当分私という人間は変わりそうにありません。この1年、それをすごく思い知らされた1年でした。無能、無能、無能。それでも継続して努力することだけは人より長けていると信じて、今日も自分のできることを粛々と進めていきたいなと思います。

 

こんな1年でした。次の1年はどんな1年になるのでしょうか。できることなら変わらずニコニコして働き続けていられるといいなと思います。

 

今から一年もたてば、私の現在の悩みなど、 およそ、くだらないものに見えることだろう

サミュエル・ジョンソ ダイソーの名言カレンダーより